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昭和22年 |
古畑勝人社長が東京都中央区日本橋にて創業。 |
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昭和26年 |
株式会社古賀鋼材商店を設立。 |
昭和35年 |
神奈川県横浜市に京浜東海地区の販売強化と来るべき多様化時代を予想して 横浜営業所ならびに工場を開設。 |
昭和36年 |
社内報「わかくさ」創刊。 |
昭和38年 |
東京都江東区古石場に深川工場を開設。DDSタイプフライングシャーを取り入れた 業界初の大型レベラーラインを設置し本格的加工センターの先鞭を切る。 |
昭和41年 |
社名を古賀鋼材株式会社に改称。 |
昭和42年 |
江東区南砂町(現 江東区新砂一丁目)に冷延鋼板砂町工場(現 東京第二工場)を開設。 弊社開発によるSCR制御のフライングシャーを取り入れた冷延鋼板レベラーシャーラインと大型スリッターラインを設置し、熱延・冷延鋼板の総合加工体制を整える。 |
昭和43年 |
日本銀行より手形再割適格商社に認定される。 |
昭和44年 |
群馬県太田市に太田営業所(現 北関東支店)と工場を開設。 北関東および信越地区の増大する需要に対応し得る体制を整える |
昭和45年 |
江東区新砂二丁目に砂町第二工場(後の東京第五工場)を開設し、一大加工センターを完成。 軽量形鋼・縞鋼板・ステップ縞鋼板・シャーリング加工の各種鋼板二次加工設備を結集。 |
昭和47年 |
江東区新砂一丁目に熱延鋼板第一工場(現東京第一工場)を開設。 本格的揺動型フライングシャーを組み込んだ業界初の大型レベラーシャーラインを設置。 |
昭和49年 |
東京第二工場に2号スリッターラインと東京第五工場に完全無人オートプレートスリッターを開発設置。 |
昭和50年 |
東京第二工場に冷延レベラーシャーラインを開発。ライン中に本格的揺動型フライングシャーを組み入れて、わが国でも初の塗油コイルの超高速高精度切断に成功。 |
昭和53年 |
東京第二工場にて新製品「スーパーコールド冷延鋼板」を開発。特殊四段ミル圧延複合レベラーシャーラインの完成で通常の冷延鋼板よりも光沢のすぐれた新製品を誕生させる。 |
昭和58年 |
江東区新砂一丁目に熱延鋼板第三工場(現東京第三工場)を開設。本格的揺動型フライングシャーを組み入れた大型レベラーシャーラインを設置。 |
昭和60年 |
小型レベラーシャーラインを開発し、東京第五工場に2連設置。 |
昭和61年 |
フルオートシャーリングマシンを開発。東京第五工場をはじめ各工場に配置。 太田営業所(現 北関東支店)に第二工場を増設。大型スリッターライン、小型レベラーシャーライン、フルオートシャーリングマシンなどを設置して即納体制を強化。 東京第一工場に大型スリッターラインを開発設置。 |
昭和62年 |
東京工場事務所・食堂・社員寮を建て替え。 |
昭和63年 |
社名を古賀オール株式会社に改称。 |
平成3年 |
宮城県白石市に東北支店ならびに工場・流通センターを開設。東北地区の需要に即応できる体制をつくる。 |
平成6年 |
長野県茅野市に甲信越支店ならびに工場・流通センターを開設。東海・甲信越・北陸地区の需要に即応できる体制をつくる。 |
平成7年 |
古畑勝茂社長就任。 |
平成8年 |
東京都中央区日本橋に新本社ビル竣工。 |
平成9年 |
横浜工場を東京工場に集約し閉鎖。 |
平成10年 |
組織のフラット化・活性化を図るため全社的に課制度を廃止しクループ制を導入。 |
平成11年 |
社員の意識改革を含む本格的な業務見直しと生産性向上を目指し「SCRAMチーム」を発足。 横浜支店を本社に統合し閉鎖。 |
平成12年 |
深川工場を閉鎖し、跡地に駐車場が完成。 |
平成13年 |
会社設立50周年を迎える。 |
平成14年 |
全社全部門でISO14001取得。 |
平成17年 |
東京第二工場に無塗油専用スリッターラインを設置。 |
平成18年 |
エスエスシー北関東㈱設立に資本参加。 |
平成19年 |
東京第五工場を東京第一・二・三工場に集約し閉鎖。 |
平成20年 |
本社ビルが東京消防庁より、防火性能の高い建物として |
平成21年 |
東京第一工場に新大型レベラーシャーライン設置。 |
平成23年 |
会社設立60周年を迎える。 |